【映画レビュー】想田和弘監督の『精神』を見て思ったこと

 

 

 

みなさんこんにちは。こんばんは。おはようございます。

🐻です。

今回は、このブログにしては珍しく映画レビューを書いていこうと思う。

最近では、登録が容易な映画レビューサイトやアマゾンにおいてもレビューが盛んに行われてきている。

レビューサイトで感想を書くのでは、ブログにコメントするくらいのお手軽感がある反面、「本当は自分がどう思ったのか」という大事なところが抜け落ちがちになるのではないかと思う。

そのため、今回は見終えた映画『精神』について思ったことをそれなりの長さで書いたり示したりしていこうと思う。


はじめに、YouTubeにうpされていた映画『精神』の予告編動画をご覧いただきたい。

予告編においては、若干のBGMがかかっている。しかし本編では、(記憶が正しければ)場面場面のカットは入っているものの、ほとんどBGMは入っていなかったように思う。


次に、この映画の監督を務められた想田和弘さんがどのような人なのか、自分でザックリ調べた範囲でまとめていこうと思う。

想田和弘さんのwikipedia によると、

想田 和弘(そうだ かずひろ、1970年6月12日 – )は、日本映画監督脚本家演出家ジャーナリスト栃木県足利市出身、アメリカ合衆国ニューヨーク在住。

栃木県立足利高等学校卒業。東京大学文学部宗教学科卒業。宗教学科では島薗進に師事。また在学中に、東京大学新聞編集長を務める。だが、編集長としての激務とプレッシャーのため、燃え尽き症候群を患い、それが後にドキュメンタリー映画『精神』を撮る原点となった。アメリカのドキュメンタリー映画監督フレデリック・ワイズマンの影響を受けた[1]

想田和弘監督についてのザックリとした説明はこの辺りにして、一つ気になったことがあった。

「なになに?大学時代の燃え尽き症候群が『精神』制作の原点だったの?」と思ってしまったのだ。


そして早速、Wikipediaの引用記事に飛んでみた。

引用記事における映画『精神』の部分は、半ばネタバレを含んでいたようにも思った。まぁそれはともかく、記事にも登場する「こらーる岡山」は劇中でも重要な場所として描かれている。


想田監督の作品は、ほとんど実話に基づいたドキュメンタリー映画である。そこで「こらーる岡山」がどのような場所なのか気になってしまいググってしまった。

「こらーる岡山」とググって一番上にあった記事は、同院が2016年ごろに閉院したという記事だった。

2009年ごろに『精神』が公開されて、2016年には「こらーる岡山」が閉院となった記事を読むと時間の暴力性を感じずにはいられなかった。


 

映画のタイトルにもあるように、この『精神』という作品は様々な精神疾患を患っておられる方達の日常の一部を撮った作品だ。

作品を見ていると、精神疾患を患った方と健常者との違いがほとんとないことに気づかされる。にも関わらず、行政は支援の打ち切り政策を推進する。行政は「普通」とされる人からは目に見えにくいところから予算を削る暴力的な措置を行う。注意してニュースを見ていなければ、権力の暴力性には気づかないだろう。

ここで自分なりの解釈を述べれば、想田和弘監督は“「健常者」と「精神疾患を患った方」との差なんてあるの?”ということを映画『精神』でテーマにしたかったのかもしれないなぁと思ったのだ。

自分なりに図を描いてみる(ド下手くそで申し訳ない)。

 

以上のことを踏まえると、想田監督の「燃え尽き症候群」が『精神』制作の原点であるという輪郭がボンヤリと見えたような気がした。

つまり、『精神』制作の原点である輪郭というのは、“「普通」とは何なのか?誰に「普通」であると決められるのか?”ということを想田監督は「燃え尽き症候群」時代に感じていたのかもしれないなぁと勝手に思った。


最後に(ネタバレにはなるが)、「こらーる岡山」の山本医師が劇中の講演会でこんなことをおっしゃっていた。(山本医師は安価で講演会をするという話も聞いて、「頭が上がらないな」とも思ってしまった。)

山本医師:「四角形の上に均等な円を3つ描いて。質問は一切なしで。」

すると、講演会の参加者は様々なものを描いていた。

どんなものを描いていたかというと、

上に自分が描いてみたようなものを講演会の参加者たちは描いていたと記憶している。

山本医師は(正確ではないかもしれないが)、「このようにコミュニケーションが一方方向だと受け取り方がバラバラになりがちだ。コミュニーケーションは双方向であることを意識してほしい」と仰っていた。


これには自分に当てはめてみても「そうだなぁ」と思わずにはいられなかった。

というのも、話が飛んでしまうが、自分は大学に通うために実家を離れて大学の近くに住んでいた。

実家を離れている間、スマホで様々なアプリを使ったりネットサーフィンをしたりしてスマホが知らず知らずの間、自分の一部になっていた。

たまに帰省した際に、自分は両親に対して早口で「LINEとかFacebookとかSNSは便利だからスマホにインストールしたほうがいいよGoogle マップも便利だよ」というようなこと言っていた。

しかし、早口でしかもたまに帰ってくる自分の言葉が十分に両親には伝わっていなかったらしく、最近になるまで父親はLINEもやっていなかった。

自分が一番後悔していることは、母親にLINE等のSNSやスマホの使い方を十分に伝える前に母親が亡くなってしまったことだ。

母とはSMSメッセージでのやりとりはやっていたが、最近の父親のLINEの凝り具合を考えてみても、母親にもっと丁寧にスマホの使い方を教えてあげればよかった。と後悔が募るばかりだ。

自分の親をみても分かるように、スマホやインターネットを使いこなせる中高年の方はかなり少数派なのではないかと思わずにはいられない。

IOT教育だとかAIだとか巷で盛り上がっている話はよく耳にするが、日本という超高齢社会においては、いろんな方達にインターネットの使い方を懇切丁寧に伝えていく必要があるなと感じた。

話が横道に逸れて申し訳ない。。。


今回の記事は以上としたい。ド下手クソな感想文になった感は否めないが、最後までお読みいただきありがとうございました。

それでは。🐻でした。

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