【空手】和道流の空手道場で空手をやっていた話

みなさんこんにちは。こんばんは。おはようございます。

🐻です。

今回は、小さい頃にやっていた空手についての記事を書いていこうと思う。

なぜ空手の記事を今回書こうと思ったかというと、最近気温が下がり、冷えてきていて、寒い日の空手道場にて裸足で練習して冷たい思いをしていたのをふと思い出してしまったからだ。

しょうもない理由ではあるが、今回は勢いだけで記事を書いてしまおうと思う。

しかも来年の東京オリンピックで空手が新種目として導入されるらしい。但しとても複雑な心境だ。

というのも、空手という種目自体には親近感があるのだが、東京オリンピックで一儲けしようとしている連中が好きになれないからだ。

Twitter上ではインパール作戦に準えて #東京インパール2020 というハッシュタグが流行っていた。

日本語を読めない外国人がインパールとオリンピックの意味の違いを認識せずに、#東京インパール2020とTwitterで呟いていたのには笑えた。今風に言えば、草生えた。

それはともかく、空手について自分が知っていること、空手道場での思い出等をいくつかに分けて書いていこうと思う。

自分の経験した空手

まず、そもそも空手に対して硬派でマッチョでしかも怖いというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれない。

なぜかというと、空手家が、ものすごい枚数の板割りや瓦割りをするイメージがテレビ等を通じて知られているからだ。

他にも例えば、漫画・アニメの「名探偵コナン」に登場する毛利蘭というヒロイン的な役回りの女子高生は、空手部の主将として登場する。

毛利蘭は空手部の主将という役回りなので、作中でいろんなものを破壊したり、犯人との戦闘シーンにおいて窮地を救ったりするシーンで大活躍したりするように描かれている。

そのような先入観が相まって、空手自体が怖いという印象を抱かれがちなのかもしれない。

しかし、それは自分の知っている空手とは大きく異なる。

空手には主に「形(かた)」と「組み手(くみて)」がある。

自分の通っていた道場は「和道流」という流派に属する道場だった。

「和道流」はとにかく「形」を重視する流派だ。

だから、「組み手」は滅多にしないし、瓦割りや板割りは通っていた道場でやったことがない。

違う流派の極真空手は激しいという話を聞いたことがあるが、真相は知らない。

ここでは自分の顔っていた和道流の話を主に書いていこうと思う。

〜形(かた)〜

先述の通り、自分の通っていた道場の流派(和道流)では形を重視していたので、まずは形について知っていることや思い出について書いていこうと思う。

自分が知っている形には基本型、平安(ピーアン)初段〜五段、クーシャンク、チントウ、セイシャンがある。

「YouTubeに動画があるかな」と思い、「和道流 クーシャンク」などと検索すると見つかった。

色々調べていると、「ナイハンチ」だとか「ジオン」だとか自分の知らない形も見つかった。

「ジオン」と聞くと「機動戦士ガンダムに登場するジオン公国かよ」と1人でクスッときてしまった。

それはともあれ、自分の通っていた道場の昇段試験や昇級試験ではこれらの形を覚える必要があった。

〜組み手(くみて)〜

最初にも書いたように、自分の通っていた和道流の空手道場では組み手は殆どやらなかった。

それでも組み手をする際には拳がぶつかって危険なので、小手という用具を最低限の装備として身に着ける必要があった。

小手といえば、剣道を連想される方も多いかもしれないが、空手に使う小手も存在する。

また、空手道場に通ったことがある人ならご存知だとは思うが、自分の通っていた道場には帯に応じた階級があった。(帯の階級については後述する。黒帯が最上級だった)


さて、組み手で覚えているエピソードとして、年齢も帯の階級も上の人と組み手をしていたときのことがある。

相手の頭部を狙った拳突きで一本狙いしにいったのが誤って、鼻に直撃してしまったのだ。

通っていた道場では組み手での頭部狙いの拳突きは当てる直前で止めるという暗黙の了解があった。

それにも関わらず、小手を装備していた自分の拳が相手の鼻に直撃して鼻血を出させてしまった。要は、自分のヘマで相手の鼻を突いてしまったのだ。

そんなに強く拳で突いたつもりはなかったのに、相手の鼻から血が出てしまったことに申し訳なさと、自分の力を無闇に使ってはいけないということがその時に分かった。

組み手の試合後、自分が相手に「ごめんなさい」と謝ると、相手も「避けきれなかった自分も悪かった。そんなに気にしなくてもいい。」というようなニュアンスの言葉をかけて貰った。

10年以上経つのに、いまだに忘れられないエピソードである。

話が逸脱するかもしれないが、「自分の力を無闇に使ってはいけない」と思ったことに関連して、ナチスのアイヒマンを想定したミルグラム実験を思い出した。

ミルグラム実験をご存知でない方もいらっしゃるかもしれないので、WikipediaのリンクとYouTubeの動画を貼っておこうと思う。

真面目さや善意に囚われると、どんな人であっても、人は他者に対して、残虐な行為をしてしまうというのがこの実験の本質であると自分は思う。

いやむしろ、ハンナアーレントの言うように “本当の悪は平凡な人間が行う”のだと思った。

〜帯の階級〜

帯の階級は、道場によって異なると思う。というのも、違う道場に通っていた友達と帯の話をしていたからだ。

当時、自分の通っていた道場での帯の階級は下の階級から、

青に白線紫に白線

の順であった。

黒は初段、二段と上がっていくと、それに応じて帯の隅にある金色の線を一本、二本と追加で縫われていたと記憶している。

黒帯以外はレンタルだが、黒帯は自前で買っていたようだ。

そのため、名前と金の線の入っている黒帯のお兄さんやお姉さんは憧れの対象だった。

そして何よりも、空手道場でよかったなと思うことは、道場内での教え合いだ。

一通りの全体練習を終えると、離散して個別練習をやっていた。

個別練習とはいっても、様々な階級の者がいるので、上の階級の者が下の階級の者に形を教えるというものだ。

教え合いになるので、全体で練習するよりも、いろんなことを聞いたり、教わったりできるので、身につきやすかったと思う。

ちなみに自分は「お受験」で塾にも通うようになってしまったので、2〜3年通った後、道場を途中でやめてしまった。

最終的に自分は青帯だった。

いろんな教育を受けたことがあるけれど、空手を通じて経験し、思ったのは全体練習よりも個別練習の方が理解も定着もしやすいのではないかということだ。

これは現在の日本の学校教育でも言えることなのではないかと思う。

日本では全体のために個を殺す教育が多いような気がする。

人間は工場の部品ではないのだから、一人一人を大事にした方が良い結果が生まれるような気さえする。

まとめ

空手の話を書いていたつもりなのに、ミルグラム実験や教育の話をしてしまった。

逸脱してまとまりのない話をしてしまうのもなんだかなという感じだ。

「まとめ」と書いているのにうまくまとめられないなぁ。

まとまっていないのは承知しているが、この辺でご容赦ください。

それではまた。🐻でした。

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